御節介(おせっかい) とは?
[名・形動]出しゃばって、いらぬ世話をやくこと。また、そういう人や、そのさま。「—をやく」「—な人」
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“道を進めど満たされない”…理由は、「ツインレイではないから」
https://coconala.com/blogs/2997019/424078
己の経験を他者と“答え合わせ”がしたいのなら、それは「己の道に満たされていない」と言うことです。
「ツインレイはやり直しのリセットボタンではない。/ “これからどう生きるのか”を考えることに意味がある。それが“経験”である」…by私の7人目のツインフレームの彼女
https://coconala.com/blogs/2997019/424166
私たちは人生を生きている。その経緯で経験をつんでいる。その経験は私たちの過去になる。その過去を『どのような形にしたのか』が私たちの存在を確立していく。
私たちの『存在感』とは、過去が存在すればするほど、存在が確立する。しかし、過去が存在しない人たちもいる。過去を捨てる人たちだ。彼らは自分たちが生み出した経験をなかったことにし、すべてを人に押し付けることにより、経験を構築することをしてこなかったともいえる。(自分は悪くない、人のせいにする)
二極化世界では、幻想側では『存在感がない・過去が無い』存在であり、覚醒側では『存在感がある・過去がある』存在となる。
...幻想者はテーマに対して経験がないために、判断をすることが出来ない。ゆえ、覚醒者に依存させ、その意見を『否定』または『肯定』という形をとる。
このとき、否定側に偏るとき、私たちは『覚醒者と違う』と認識する。その認識により『自分は間違っていない』と考える。いわば、自分を否定されたような気分になるのである。
しかし、彼らがしているのは覚醒者の意見を否定している。他者を否定しているが、自分を否定しているに過ぎない。
結果、彼らは『承認欲求』を覚える。
覚醒者に認められたいがゆえに、その意見に対して否定や批難等を述べ、存在を欲するのである。
また、肯定側は『安心』を覚える。そして、その安心により「このままでいいや。」ともなりえ、肯定した意見をそのままコピーし、真似る。真似てコピーしているだけゆえに、覚醒者が培った経験が伴わないだけ、その意見は穴だらけとなり「あの人がそういっていたから、これは正しい」というカタチに着地する。
コピーや真似をしたとしても、そこに意見は存在しない。
いわば、彼らの『承認欲求』とは、存在を欲求しているのである。
...
この承認欲求は、肯定側は「自分はできている・わかっている・やっている」という過剰なる自己肯定により生まれる。ゆえ『褒めてほしい』と言う承認欲求が生まれる。
否定側は「自分は正しい」という過剰なる自己肯定により生まれる。ゆえ『相手の意見をすべて壊し、相手をなかったことにする』ように働くような承認欲求が生まれる。
...
いわば、経験がない。幻想のなかで走馬灯(もはや砂漠の蜃気楼ですらなくなった)を見続けている幻想者たちにとっての経験は積み重なっていくことはない。
なぜならば『等身大の自分』を受け入れ、自分が『何をしているのか』の事実を背負っていないからだ。
「愛を他人に依存している」…貴女は自分の人生を信じきれず、己の未来を失わせたのです。だから他のツインレイ達も導きが必要だと思い込んでいるのです。
https://coconala.com/blogs/2997019/417586
~中略~ 教えられた智恵やお金などの『付与価値』により、人は『存在』を信じなくなりました。
自分が何かの価値がなくなっても『存在している』ことを忘れることになります。
何かしらの価値がなければ、自分が存在していないと認識することになるのです。
『価値』に縛られているがゆえ、『無価値』であることを悪いものと考えます。
価値ある存在になろうと躍起になりますが人は無価値である『無である存在』ゆえ、必ず背景に『無価値である自分』が追いかけてきます。
最終的に、塗り固められた『価値ある自分』を『自分』と信心することにより、『自分を失った状態』になっています。
これを『自己の喪失状態』と考えます。
自己の喪失状態となった人たちは、自分の意見ではない意見に振り回されているにもかかわらず、自分の意見だと思い込み、価値ある自分の意見を実行していきますが、それは自分の意見ではないので最終的には意見のぶつかり合いが生じ、決別を迎えることになります。
...
また、彼らは一見、偽善的であり、良心的な姿をしている。
それが『道徳で学んだ善』であり、本当の『善』ではなく『偽善』であることに気づくまで、彼らは自身が無価値であることを学ばなければならないが、今まで積み上げてきた価値を捨てることはなかなか容易なことではないでしょう。
「本当はこの世界にいらないものなんてありませんでした。/ その心はまっすぐにツインレイを受け止め、本来ならば“価値がない”と思ってしまいがちな世界の彼らを受け入れていくことになります」
https://coconala.com/blogs/2997019/424444
自分以外の人たちを受け入れたり、自分以外の人たちを受容し、また尊重してきたツインレイたちは、自身のなかに心を育てることが出来ました。
その心はツインレイの相手を受け入れる心です。
その心はまっすぐにツインレイを受け止め、本来ならば『価値がない』と思ってしまいがちな世界の彼らを受け入れていくことになります。
そんなとき、ツインレイの相手が抱えているものは宝物となってツインレイの相手を支えている事でしょう。
しかし、誰も受け入れず、誰も受容せず、誰も尊重することのなかったツインレイたちは、自身のなかに心を育てることが出来ませんでした。
その心はツインレイの相手を拒絶する心となりました。
その心は、ツインレイを拒絶し、本来ならば『愛する』という姿勢で受け入れるべきツインレイを『価値がない』と認識して捨てていくことになります。
そんなとき、ツインレイの相手が抱えているものは人の心を巣食う闇となってツインレイの相手を過去に縛り付けていく事になるでしょう。
ツインレイはこのように相手を受け入れる力によってともに存在することができる力を育てていました。
そして、それは『価値がないと思っていたものが価値があるものになって返ってきた』という充足感を感じることが出来ます。
ツインレイ…「己と向き合えない」から、安易に己の経験で人の役に立とうとするんだよ。それは、その学びを“本当には終えていない”と言うことです。
https://coconala.com/blogs/2997019/424071
だから貴女はツインレイを語って他人の上に立つ(優劣思考)・役に立つ(承認欲求を満たす)ような真似をすることで、
「それを終えた気になりたがる」のです。