戦国の覇者 徳川家康は、律儀な人物であった

戦国の覇者 徳川家康は、律儀な人物であった

織田信秀の人質3年、今川義元の人質13年、織田信長との同盟20年、豊臣秀吉との同盟15年、正に忍耐の人が徳川家康です。彼は、三河一向一揆で自分の身代わりに死んだ夏目氏の子が浪人しているのを聞き、旗本に採用しました。小牧長久手の戦いで味方してくれた佐々成政の孫娘 鷹司孝子と徳川家光との結婚を遺言しました。豊臣秀頼よりも、徳川政権の一大名として、生き残れるようにして、最後まで待ちました。