生成AIは量産型タスク(仕事)を駆逐するか?

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答えやYESですが、ここで問題は量産型タスクって何かなんですよね。

その前に、そもそもタスクとは何か。そして、仕事とはどういうレベルのものが人間が介在する意義がありそうかを考えてみます。

タスクとは切り出された作業であり、考える行為は介在しないもの

「タスク」として切り出したものが全てAIができるとは思えません。例えば、キャッチコピーをつけて、と指示を出したら「キャッチコピー」っぽいものが出てくるわけです。

しかし、「キャッチコピー」のタスクの定義次第ですが、「なんでもいいからキャッチコピーらしきものをつける」という条件であればクリアじゃないですか。しかし、実際は「若い女性が気になると思ってくれる」とか「商品を思わず見たくなる」とか、そういった注文が付くわけです。なので、注文をするのだけど、そこをAIへ指示をできるかと、あとAIがその指示者側である人間が満足するものを出してくれるか?

これは個別性というか、個別化っていってもいいと思います。つまり、より具体的になっていくと。人間が満足するレベルといってもいいのですが、具体的というほうが分かりやすいかなと。しかも、それは個別に区切ってもやはり無理なところはある。だからこそ、AIのアウトプットは人が見るという「建前」(というのは、AI技術者はハッピーな社会を夢見てますが、技術がうまく使われてハッピーになり続けるだけではないんですよね。悪用とか詐欺とかガンガンする人がいるのが社会ですよね)があると。

だからこそ、タスクをどのレベルで満足してくれるものとするか。
例えば「要約」指示は結構僕は満足してます。だから、もう要約をする「だけ」の人は要らないんですよね。ただ「要約」もレベルによるわけです。どういう要約アウトプットになるか。そして仕事ならその依頼者の金額と条件になるのだろうと。

ここで量産型とは、数を求められることです。1記事の要約を1本(1000字)を100文字なら、別に僕もすぐ出来ますよ。これが、100記事だともうやりたくないのでは?そして、人間が辛いのを、AIは100本も簡単にやれてしまうんだろうと思います。1記事30秒もかからない。人間はつかれますよね。1000字読んで書いて、だけでも、5分はかかるはずです。いや10分かな?

となると、ここで、もうすでに20倍くらい(30秒と600秒で)差がある。しかもですよね、100本要約したぞ!6本で1時間ですから、60本で10時間、一日で終わらないですよね、あと休みたい。2日は最低かかる。まあ3日くらい欲しい。それを30秒であれば、2記事で1分、50分で終わらせてくると。怖くないですか?

あ、それで疲れも感じない。コストも今のAIコストって月20ドルなので、3000円くらいです。1日で割れば、100円でしかも、1時間なので50円もかからない・・・。

当然そんな要約仕事があるとか、それをやる意義があるかはおいておいて、すでに仕事としてある人なら使うんですよね。僕もそう思います。

こういうタスクで量産的なものが駆逐されるんですよね。
ここで、要約=考えなくて良いというわけではもちろんないです。ただ、AIが出来てしまう事ができれば、そういう枠に入れられていくんですよね。

量産型の反対は職人

伝統工芸とか分かりやすいですよね。ただこれは職人化しすぎているとも思うので。

キャッチコピーをつくるコピーライターでもいいですよね。あの人に作ってほしいとか。そういう使命があるような人としましょう。

ではこの人は仕事をAIに奪われないか?答えは分からないです。
量産型で、AIでも出来てしまうものなら要らないと。今この時点ではそこまではないものの、すでにコピーを書いてで書いてもらってる人はいると。それをAIが作ったと無邪気に最初は言っていたけど、それをあえて言わなくなる。

この文章もどこまでAIか分からないですよね?そんなことない?これは僕が全部書いてますよ(笑)けど、そこで分からなくなる時で、区別がつかないなら明らめる人が多いと。どっちでもいいと。内容が良ければ良いとかになると。あとはAIだとシビアに見たり、人間が書いたものが欲しいと。それだけになるのだけど、ここかなり人間っぽいというか、感情的、合理的ではないものですよね。

つまりそのコピーライターでも、奪われることがあるかもしれない。ポジティブに言うと、AIを使って仕事を増やすってことはできるし、質を高めることもできます。が、それを皆がやれるとどうなるか?このあたりよく分からなくて、技術である以上差異ができる、違いがある。となると、皆ハッピーっていうのは結構甘い見立てなんじゃないかなと思ったりするわけです。

人間が仕事をしないとき遊んでいて良い社会を僕らは想像出来ていない

少なくとも仕事でなくてもボランティアでもいいので活動しないと人は精神的に死ねると僕は思います。だから、ずっと適度に動きたいのだと。

でも、それを僕もですがイメージできていない。できている人がそこまでいないか、色々と精緻に考えないと妄想感が強いと。ただSFの世界も実現していってるわけで、笑い飛ばすほど僕も甘く見ていないです。大体実現するのではないかと。シンギュラリティとかですよね。

一方で働かないとお金を得られないから死ぬという分かりやすいルール?も消える時、どうなるかですよね。それを世界で享受できるわけではないでしょうし、何かここらへんで思考も詰まってきたので終わりにしたいと思います(笑)

ここで想像の話になりますが、人ってかなり感情というか感覚で生きているなと。生きる意味なんていうものも見いだせなくても(楽しいとかってのがあれば)生きているんじゃないかと。もっと考えられる気もしますが、今つらい人はおいておいてそれなりに楽しい人って、合理的に何か埋めていった人ではないという僕の予感というか直観があります。

楽しい、面白い、幸せだ。と思える人は、合理的に獲得した結果ではなく、ある日色々やっていて、そう思えることを瞬間を得たと。そう思えたからそうなのだと。だから「幸せになりたい」って人がたまにいますが、そういう人は永遠に「幸せ」にはなれないんですよね。どこかにあるものではなく、自分が見出す、感じる結果とか、あと感情ですからね。大体そういうときって「嫉妬」とか「憧れ」とかで外部を見ているだけかもしれません。

この考えをAIに適用するのであれば、来たるべき恐怖を想像するよりも、今あるものでAIを活用して活かすところに注力する。何かやばくなったら多分全てが変わっている社会ともいえるので(笑)少なくとももっと賢い人か、誰かが先に対策をしていることを信じてそこから学んでいきたいと思いました。
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