私の過去について①

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家族構成
父・母・弟・妹
1984年8月某日
私は生まれました。過酷な事が起きることも知らずに
生まれてから、3年間のことは、
写真も少なく、記憶もありません。
写真で見る限りは、祖父母や叔母・叔父と笑っていました。
記憶の中では、叔母と遊んでいることが多かったと思います。
私が4歳の時に弟が生まれましたが
「かわいい」と言えずにいたのを覚えています。
そのころから歯車が壊れ始めたのかもしれません。
「躾」
という名の暴力・・・が始まりました。
何をしても怒られる。
時に物置小屋に閉じ込められ
真冬の外に裸足で数時間も立たされ
髪の毛を掴まれ引きずられたことも。
「お手伝い」は当たり前・・・
弟の世話
洗濯・掃除
全てやるのが当たり前だし普通だと思っていた。
でも、実際はそこまで手伝いをしている同級生はいなかった。
保育園時代も
小学校時代も
弟が生まれて4年後に妹が生まれた。
「赤ちゃんかわいい」って思ってたけど
やっぱり口に出しては言えなかった。
だって、お世話はあたしがしなきゃ・・・と思ってしまったから。

そして、また怒られることが増えると・・・

思い描いていた家族のイメージとは
かけ離れていた・・・
朝が来るのが恐いとさえ思っていた。
起きた瞬間・・・いや・・・
寝ているときでさえ自分で自分を抑えることに
必死だった・・・
お風呂・・・
食事・・・
お風呂は一年中、水風呂
温かいお風呂になんて入った記憶がないくらい。
真冬でも・・・

東北地方で生まれ育った私。
真冬は水道が凍ってしまうくらいの寒さ・・・
全身が凍り付くんでは?と思いながら頭から水を被っていたんです。
食事は・・・食べれてるだけ幸せだったのかもしれないけれど
朝からインスタントラーメンやパン
それはゆっくり味わって食べれてるものじゃない
「5分で食べなさい」
「食べて気持ち悪くても吐くな!」
「どうして、早く食べれないの?」
と言われ続けそれは、中学を卒業するまで続いた。

小学校3年生まで標準体重より、少なかった体重はみるみる増え
中学で90キロ後半まで増えた・・・
それはそうですよね・・・
暴飲暴食と同じことを毎日やっているのだから・・・
そして、毎日体重を測り、減っていると
インスタントラーメンを2人前とか3人前・・・
しかも制限時間付きで。

高校生になって
自ら食べる事を辞めるまで体重は減りませんでした。
高校生になって拒食気味になりました。
いわゆる「食べては、吐く」の繰り返し。
両親は気にも留めてなかった。

次回に続く・・・


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