音楽が終わった後で。。。。7 〜混沌の始まり〜

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音声・音楽
1980年12月8日。当時高校の期末試験(といっても全く勉強はせず、試験範囲も存じ上げなかったんですけど)の勉強のフリなるものを行なっていた時、おかんが階段を駆け上がってきた。
「ビートルズの誰かが殺されたみたいだよ」と言ってきた。
瞬間、当時モナコでギャンブル三昧だと伝えられていたリンゴ・スターが博打場でトラブったのかと思った。
しかしテレビのニュースが伝えたのはジョン・レノンが射殺された。それもダゴタハウスの前でとのことだった。丁度ダブル・ファンタジーを発売し、ハウスハズバンドから音楽シーンに戻って来たばかりのことだった。2月か3月には武道館公演も決まっていたとのことで、「裏」でチケットをお願いしていただけにショックが大きかった。ホテルカリフォルニアよりもこちらの方が「ロックの終焉」と感じたものだった。

この訃報から80年代の混沌が始まったと感じている。良い意味で取れば旧態のロックからの箍が外れたということで、新しいスタイルの音楽が始まったのかもしれない。悪い意味で取れば「イズム」がなくなって「商業」がメインになった「稼ぐための音楽」が多くなってきたと言われ始めた。「産業ロック」という名称も出て「売れる」ことを第一に考えたアルバムであって、作品自体のクォリティは高い。売れる要素がふんだんに盛り込まれた音楽という感じが当時の自分の感覚だった。

良い意味の代表格は2ndブリティッシュ・ロックの対等だったのかもしれない。パンク、ニューウェイブに始まりありとあらゆる形態の新しいバンドを輩出しビートルズやストーンズが席巻して以来の全米チャートを荒らしまくったことだった。カルチャー・クラブのボーイ・ジョージも眉を顰める人が多かったアメリカだったが、イギリスの老婦人は「いいじゃないの!音楽だって素敵だわ!」の一言に代表されるように懐が深いお国柄のお陰でどんどん新しいバンドが全米のチャートに入って行った。それに伴うように中堅所のクィーンやジャパンなどのバンドの旧譜の評価が高まり、デヴィット・ボウイもナイル・ロジャースやスティービー・レイボーンと組んだ「レッツ・ダンス」でチャートに戻ってきたものだった。

アメリカ勢はTOTOの成功などもあり、AORやパワーヴォーカルのアルバムが発売され、セールスも好調だった。ブラコンが徐々に形を潜め、ラップなどのヒップホップが台頭してきたこともあった。ハービー・ハンコックの「ロック・イット」に代表されるスクラッチなども出てきた。

それでも8年代の中盤まではどこか喪失感があった。
大好きだったブルース・ブラザーズのジョン・ベルーシが他界したこともあり、その頃は自分自身何をどう聴いていけば良いのか分からなくなった時期でもあった。

1980年夏、ライブアンダー・ザ・スカイのライブジャムを観に行き、田園コロシアムで狂気した80年の始め。まだまだワクワクしていた時代の始まりだと思っていた。でもあの日からどこか穴が空いたままの時期が続いていった。

後にビデオで観たのだが、12月8日、武道館でライブを行なっていた甲斐バンドの楽屋に号外の新聞が届けられ、その記事を見た甲斐さんが首を横にふりながら新聞を破り捨てたシーンはとても印象深いものだった。

とはいえ、キラキラ光っていた80年代の洋楽であったことは確かだった。
イギリスからはカルチャークラブ、デュランデュラン、ブームタウンラッツ、ポリス、クラッシュ、セックスピストルズ、ティアーズ・フォー・フィアーズ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、ヒューマン・リーグ、シンプル・マインズ、ローマン・ホリデイ、ポール・ヤング、スパンだー・バレー、ジャム、スタイル・カウンシル、OMD、ニュー・オーダー、スペシャルズ、マッドネス、ウルトラ・ヴォックスなどなど、キラキラ光るバンドが沢山あった。

一方でダウン・アンダーのオーストラリアや、ニュージーランドからはリック・スプリンフィールドやエア・サプライ、メン・アット・ワーク、ブームクラッシュ・オペラ、インエクセスなどもチャートを賑わせていた。

アメリカではREOスピードワゴンやZZトップ、ジャーニー、フォリナー、フリートウッドマック、スターシップといったベテランバンドが頑張っていたし、チャカ・カーン、レイ・パーカーJr、スティビー・ワンダー、ディオンヌ・ワーウィック、クール&ザ・ギャングなどのブラコン。クリストファー・クロス、マイケル・センベロ、ケニー・ロギンス、ボズ・スキャッグス、ポインター・シスターズなどのAOR系の台頭、パット・ベネター、エディ・マネー、ブライアン・アダムス、ボブ・シーガー、リタ・フォード、ボン・ジョビ、ヴァン・ヘイレン、ツィステッド・シスターズ、キッス、ブロンディなどのロック色の強いものや、マドンナ、プリンス、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチーなどのビッグヒットも体験出来た。

それでもどこかで寂しさも感じていた10年が過ぎた気がしている。

日本でも80年初頭から90年代初頭まで走り抜けて、燃え尽きた一人のシンガーと出会うことなる。

お後がよろしいようで。。。。。
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