少年のように純粋なままで死ねるか

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コラム
イエスは、このように言っている。「子供のように純粋な魂の持ち主でなければ、決して天の国に行くことはできない・・」
そしてまた聖書には、童貞のまま死ななければ、次なる世で復活できない、とも書かれてある。次なる世とは、この世が滅ぼされて、すべての魂が、神の前にひき出されて、審判を受けたあと、神に認められた魂が行くことのできる、
2つ目の世である。ここが神々の住まう、天国とイコールかどうかは、まだよくわからないが、とにかく天国と同じくらい素晴らしい場所であるらしい。
この世が始まり、終わるまでに、人間が、見たことも聞いたことも想像すらもしたこともない素晴らしい世界だと書かれている。

だが、セックスもできずに死んでいくぐらいなら、復活できなくて結構!と思っている人もいるかもしれない。実際、ほとんどの人間は地獄へ行く運命なので、この、この世で究極の快楽を我慢できるかどうかは、相当な精神力を要求されるだろう。
私も、神の存在を知らなければ、女と交わり身を汚していたかもしれない。
だが、神の存在を知った今、それは、あまりに恐ろしくてできない。
落とし穴があるとわかっていて、その穴に落ちることはできないし、毒と分かっていて、食べることはできない。
それでも、最初の人間アダムは、食えば死ぬと言われた禁断の実を食ったのだから、それほどまでに女とは魅力的な存在なのだろう、神をも裏切らせ死に至らしめさせるほどのことが、できるのだから。
そう、アダムは最初、拒否したのだ。だが、イブ(エヴァ)にそそのかされて食ってしまった。我々は彼の犯したあやまち、その呪いを受け継いでいるがゆえに、真実を知ること、神を知ることを許されなかった。
だが終末の時代に生きる我々にも、救いはある。どの時代に生まれても遅すぎるということはないし、早すぎるということもない。
神に汚れなき魂を見せよ。そうして神に認められたなら、神を知り、真実を知り、恐怖と不安から解放される。だが、神に見放されたなら、終わりだ。
遅すぎることはないと言ったが、例外が一つある、それは天界にて「憐れまれぬ者」と名付けられた子供たちは、残念ながら手遅れである、救いはない。

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