我慢を強いること、不幸せの元凶

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今からとても当たり前のことを言います。
「オシッコやウンコを我慢するのは身体に悪い」
・・・すみません、いきなりシモの話をしてしまいました。
ても、これって子供でもわかることですよね。

私たちは、生活していくうえで色々と我慢しています。
時として、自分の意に反して我慢を強いられることもあります。
学校では教師に、勤め出してからは上司や経営者といった目上の人たちから
我慢もロクにできないような奴は使えない、といったことを叩きこまれ続けます。
日本では特に「我慢は美徳」という風潮が色濃く残っています。

もういい加減、それこそ「我慢の限界!」
・・・と齢四十を超えたときに私は開き直り、生き方や働き方を変えようと決心しました。
もう15、6年前のことです。
そして、4年前に大病を経験してそれが加速されました。

私は何も我慢は全部やめよう、と言いたいわけではありません。
社会の秩序を乱すような行為や我慢しないと命にかかわるようなものは当然に我慢は必要です。
でも、それ以外のもの、特に他者からの「思い込みや偏見にまみれた常識」による我慢の押し付けは拒んでもいいと思います。
拒んだとしても、生きていくうえで全くもって問題はありません。
今までよりもかなり気持ちが軽く明るくなり生きやすくなります。

「石の上にも三年」
つまり、我慢を続けた後にこそ成功を得られる・・・と私たちはずっと刷り込まれてきました。
でも、この世の中を見渡してみてください。
多くの人たちが我慢我慢の連続で、幸せを感じずに生きている・・・
そうは思いませんか?

人は生きていたら、色々なことに遭遇します。
我慢をしなければ、克服できない出来事・・それって本当にそうですか?
我慢する以外にもいくらでも打つ手はありませんか。
そもそも今していることを「我慢」と感じている時点で何か間違っていませんか。
今までの思考様式を少しだけ変えてみてはどうでしょうか?
「本質的なものをつかむ」ようにちょっとだけ深堀して考えてみるのです。
きっと何かが見つかりますよ。


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