誓ってはならない

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よく言うでしょう、「神に誓って!」などと、安易に現代人は。
教会でも新郎新婦に、愛を誓わせますよね?なので、現代人はおそらく
誓うという行為が「良い行為」のように思っている節がありますが、聖書には実は「誓ってはならない」という律法があります。

真のキリスト教徒は「誓ってはならない」という律法を知っているので、相手が「神に誓うか?!」などと煽ってきても、「我々は誓ってはならないという律法を持っている!お前らこそが、誓えばいいのだ!」という論争が起こったりします。なぜ、誓ってはならないのか?を解説しましょう。
まず、そもそも人間は自分を過大評価しすぎです。「嘘は誓って言ってない」などと言っても、それは自分では嘘だと思ってないだけで嘘を言ってる場合もあるわけですよね。「いや、それは単なる勘違いだ」と言っても、嘘は嘘。
だから、人間は誓うことができるほどの存在じゃないということが一つ。
そして、もう一つは、いちいち個人的な行為の引き合いに神を持ち出すなと言うこと。
「私は、浮気はしていない!神に誓って!」とかですね、なぜお前の不貞行為をしてない証人に神を引き合いに出すのかと・・。神の存在を軽んじすぎですよね。こういう行為一つとっても、神は疲れるし、怒っています。
現代の人間はどうしてこうも自分中心に生きてるんでしょうか。古代人は神を中心に生きていました。現代人はエゴが肥大化しすぎて、神を恐れることを忘れてしまったようです。「いかに愚かであることか、己の力に依り頼む者は」
「いかに幸いであることか、心の中で神を呼び求める者は」聖書の言葉だけがあなたの救いとなる。「神は心を見る」のです。
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