温度差を埋める必要はあるのか

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こんばんは!PTmmaです。

 同じことをしていても自分と周囲との温度差を感じることってありませんんか?私は感じることはしばしばです #しばしば程度です
 今日は温度差について思ったことを書いてみます。ここでいう温度差は物質の熱い、冷たいではなく、職場などの集団内での温度差です。
 例えば公立高校の弱小野球部で、甲子園へ行きたいというガチガチに熱い部員もいれば、楽しく野球できればOK、坊主なんかしねえよ、みたいな部員もいます。そこでは何とか熱量の高い部員が自分たちの方へ、なんとか他のやる気のない部員を寄せようとすると思います。それはそれでOK、みんなが同じ方向を向くと一致団結、結果が出ることもあるかと思います。

 次は職場。大企業のイケイケ営業会社なんかは入社したら皆特攻部隊になるようにしこまれ、熱量の高い人間ばかりがであることも珍しくありません。そこに馴染めない人たちは早々と退職するのではないでしょうか。自分はそこまで熱量が高くないしやっていけないと感じるんだと思います。
 また少人数の中小企業の場合、熱量の高い人、そこそこ普通に仕事して暮らせたらいいや程度の人、さまざまかと思います。その時に弱小野球部のように、熱量が高い人が低い人を引き上げようとしたら・・・どうなるでしょう。

 私は小さな組織は破綻すると思います。小さな組織であればあるほど自分以外を許すことが必要で、すなわち温度差を認めるということです。そして温度が高い側の人間が低い側の人間に歩み寄ること、これだけでも他者への期待をすることが減り、ここに居ていいんだよというメッセージになるかと思います。他者を認めること、これが共存の第一歩なんだと感じる今日この頃でした。


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