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きっかけは人それぞれ

家系図とご先祖調査のふることやです。こちらのブログを訪れてくださったあなた様は、少なからず、ご自身の先祖に興味がおありの方とお見受けいたします。ここしばらくブログの更新が間遠になってしまいました。この間、いろいろな方から家系図の作成や、ルーツ探し、特定のご先祖様についての文献調査等のご依頼をいただき、それぞれの方のご要望にお応えするためにはどうしたらいいか試行錯誤を繰り返してきました。お送りした調査レポートでご要望にお応え出来ているのか、独りよがりの内容になっていないか、心もとない時もあります。それ以前に、できる範囲で、できるだけの調査をしても、その方が本当にお知りになりたい情報にたどり着けないということももちろんあります。資料に残っている情報には、ある種“ムラ”があって、ある事柄(人物、組織、土地、出来事など)についての情報は山ほど見つかるのに、それに関連する別の事柄については一向に出てこないことがよくあります。豊富な情報の筋ばかりに引っ張られ、気づいたら肝心の依頼者様が本当に知りたい情報からはどんどん遠ざかっていたいう、情報の沼にはまり込んでしまうこともあります。ご先祖様について興味をもたれるきっかけは人それぞれです。なかでもご両親など身近な方を見送ったあと、相続手続で収集した戸籍謄本に記された知らない名前を見て興味をもたれるケースが最も一般的ではないかと思います。その他に、定年退職で時間的な余裕ができた、離婚で元の姓に戻ったなど、ご自身の身辺変化をきっかけとされるケースもあります。また、たまたまネットで見かけた情報から、会ったことのないご先祖様と思われる人について、確証を
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「家紋は必要なの?(^^;」

「カモ~ン?」って。ちょっと言いたかっただけじゃ。でも「家紋」って、日本人なら誰もが「所有している?」紋章だよね~?!「え?家紋持ってない?!」・・・「う~ん。そうねぇ~。それは・・・アナタは外国人なのかなぁ~?それとも(キリスト教)等の外国宗教なのかしらん??」・・・まあ、別に「家紋」はあっても無くても困らんけどね。ただね~「葬式」とか「墓」には、「必要?」かも知れんね。最近は「外国人」も多くなってきたので、「家紋ナシ?」でもOKかもね。^^最近の「お墓」には「家紋」よりも「言葉」の方が「流行」みたいかな?「ありがとう」、「天国で一緒」とか「しあわせだった」とか~「愛してる」とかね~イイじゃん。まあ、昔ながらの「三段墓」とかは「頭・胴体・足」等を表しているというし。それに昔は「家を継ぐ」というのが「一般的」じゃったよね。そう男がね~「家」を継ぐのじゃ。もし「男」がいなければ「養子」でもとって「家や家紋」を継ぐのが一般的じゃったかもね。でも、最近ではね~「少子化」じゃし、「核家族化」で、そもそも「人数」が足りないもん。昔は「人」がいっぱいおったのじゃから、「家制度?」も成立していたけどね。それで「本家」という「中心」が存在して「分家」が「枝分かれ?」していったのじゃろ~て。そうそう、それで「本家」から「分家」に小分け?されたのを「家紋」にわかるように「〇=マル」を付けたのじゃ。だから「家紋」に「マル」がついていれば「分家」?ということじゃね。確かそうじゃけど、まちがっていたら、ゴミンね。ちなみにボクの家の家紋は「〇=マル」に「木瓜=キウリ」じゃ。「モッコウ」とも呼ばれるけどね。
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待ってたよ

家系図とご先祖調査のふることやです。数あるブログの中から見つけて下さり、まことにありがとうございます。 ご依頼者様からお聞きした言い伝えなどをもとに、とりあえず思い付く限りの資料に当たり尽くしたのに、一向にご先祖さまについての情報が出てこないということがあります。(むしろ、たいていの案件は、調査に取り掛かかってすぐの局面ではそれが普通です。) それが、あることがきっかけで調査の糸口が見つかって、その後はするするといろんな情報が出てくるという、私なりの小さなブレイクスルーが起こる瞬間があります。きっかけは、ご依頼者様からの「そういえば、.......とか聞いたことがあったような」という些細な一言だったり、「これには載ってないでしょ」と期待せずにたまたま開いた資料だったり、全く別の案件で目を通していた資料の中にあったりするのです。 こういう瞬間は、「きた!」と声が出そうになるほど嬉しく、これがあるからやめられないと言ってもいいでしょう。“そんなに探してくれるんやったら出てきてやるわ”とまるで向こうの方からひょっこりと現れたみたいに...(情報が擬人化されるほど行き詰まっている証拠ですね)。白状しますと、もしあの時あの情報に出会えてなかったら...と後から冷や汗が出ることもしばしばです。   もちろん先祖調査にもある程度の定石というか、基本的手法がありますが、それを踏んでいるのに行き詰まった時には、「これはどう考えても、見当違いの道を突き進んでるな」と気づいて、いかに早く本来の糸口を見つけるかが肝だとつくづく感じます。定石はあるけれど実際の調査過程は様々というのが、先祖調査の一筋縄で
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一見悪しきことさえも

 今年の7月にこちらに出店してから、ご先祖さまのことを知りたいという方々から少しずつですがお声掛けいただくようになり、お陰様で充実した一年となりましたことを感謝いたします。 戸籍を丹念に読み込むと、そのお家のそれまでの歩みが朧げに見えてくることがあります。中にはお伝えすべきか躊躇するような生々しい事実を知ることも、ままあります。例えば、血が繋がっていると思っていた親族が実はそうではなかったなど、戸籍を見なければ知らずに済んだのに…とショックを受けることもあるかもしれません。(なお、戸籍はあくまでも届出ですから、必ずしも事実が記載内容通りとは限らないのですが、ここではそれは脇に置いておきます。) 私も父方先祖が故郷を捨てて夜逃げしてきたらしいと初めて知った時は、正直複雑な気分になりました。それでもその後懸命に家を支えてくれたお陰で今があると思うと、先祖が乗り越えてきた苦労を愛おしくさえ思えるようになりました。 今年はほとんど手付かずだった母方の先祖調査も始め、偶然にも、大戦末期に獄中で最期を終えた元新聞記者の大叔父の存在について知ることとなりました。当時幼かった母や叔母らに、今に至るまでこの経緯が伝わっていなかったことを思うに、遺された身内にとっては、これが左右どちらからも批判の対象となりうる、触れて欲しくない過去であったからでしょうか。資料をいろいろ読み漁るうちに、大叔父には彼なりの義があり、それを全うする道を選んだ結果だったと思えるようになりました。 「戦時下、憲兵に捕えられ獄死」という家族の負の歴史を乗り越えて得られたのは、意外にも懸命に生きた先祖を誇りに思う気持ちでした。
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見知らぬ同姓さんからのお手紙

「突然のお手紙、たいへん失礼いたします。この人のことをご存知でしょうか?」2年ほど前のことになります。空き家同然の実家のポストに届いた見知らぬ人からの封書。訝しく思いながらも開封したところ、我が家と同じ苗字を名乗る男性の消息を尋ねる内容で、少し色褪せた写真のコピーも添えられていました。手紙の主によると、家系調査をしているうちに、母方と同姓のその方に行き着いたとのこと。先祖調査の手法の一つとして、同姓へのアンケート調査がありますが、その対象として我が家が選ばれたようでした。全国的にもかなり珍しい苗字なので、子供の頃からこのような「見知らぬ同姓さん」からの突然のお電話やお便りが偶にあったようです。そのたびに父がどのように答えていたかは定かではありませんが、逆に先方から苗字の来歴などの知識を得ることもあったようで、ひょっとして、父が生前語っていたのは、先祖からの伝聞というより、むしろこちらからの情報では?と最近睨んでいます。私たち兄妹とも、そのお名前にもお顔にも心当たりががない旨、返信したのですが、手紙の主の母方出身地が我が家のルーツに近しい所だとお伝えすると興味を持たれたようでした。その方とのやりとりはそれで終わってしまいましたが、なんにせよ、先祖調査で見知らぬ同姓さんに問い合わせするのは、とても勇気が要ることだと思います。警戒されたり無視されるのも承知の上でお手紙をくださったその方に、もう少し何かできることがなかったかなと今でも後悔があります。逆にいうと、こちらもその方から先祖に関する貴重な情報をいただけたかもしれず、大事な機会を取り逃したかも…との思いも残ります。その頃は、自分
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土地の記憶を呼び覚ます

家系図とご先祖調査のふることやです。数あるブログの中から、こちらにお立ち寄りいただきありがとうございます。自己紹介を兼ねて、出店するまでのいきさつをぽつぽつと投稿しております。ご先祖様について調べてみようと思い立ったら、まずはご先祖の元々の本籍地を知ることが大前提となります。今でこそ、実際の居住地に関係なく、自由に本籍地を決められますが、近代戸籍制度が導入された明治の初めの頃は、大多数のお家にとって、本籍地イコール実際の居住地と考えるのが普通だからです。 なぜなら特殊な例を除いて、多くのお家は、相当な昔から、遅くとも江戸時代には先祖代々その地に住みついてきたからです。住処を自由に移せるようになったのは明治以降のことで、それまで庶民の移動は制限され、生まれた土地で先祖が耕し、手を入れ、守り抜いてきた田畑や山林、漁場を受け継ぎ、その地で産したものを食し、一生を終えることが当たり前だったのです。当然、今とは比べものにならないほど、土地と家との繋がりが深かったわけで、土地の成り立ちや土地柄抜きにはご先祖様のことは知り得ないと考えます。特に、ご先祖様の生業(なりわい)の多くは、その土地土地に根差したものであって、例えば田畑なら、お祖父さん・お祖母さん、そのまたお祖父さん・お祖母さんが一生懸命耕し、苦労して年貢を納めてきた土地を基盤として、日々の暮らしがあったのです。そのような土地に暮らす限りは、ことさら先祖のことを知ろうとせずとも、自然と伝わるものが日々の生活の中にあちこち散りばめられていたはずです。明治以降の近代化の流れで、都市部に居住地を移すケースが増えたことが、先祖について知る機会
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きっかけは些細なことから

家系図とご先祖調査のふることやです。数あるブログの中から、こちらにお立ち寄りいただきありがとうございます。自己紹介を兼ねて、出店するまでのいきさつをぽつぽつと投稿しております。ひょんな事から、父方先祖が暮らしていたという長閑な農村を訪ねることになり、実際にその地に立って不思議な感覚が湧いたお話は前回いたしました。その後、興味のおもむくままに戸籍を遡り、当時勤務していた図書館で、退勤後の時間にその地方の郷土史資料などにあたってみました。最初はなかなかこれという情報が見つからず、「無名の一家族のことなんて載ってないよね」と、当時の新聞写真などを集めた資料をパラパラとめくっていたその時、ページの端に「あれ?」、一瞬祖父のフルネームが見えたのです。これを糸口として、祖父がその地で製粉の仕事をしていたこと、所属組合から永年操業で表彰されていたことがわかり、後は関係資料にあたっていくことで、明治以降の曽祖父や祖父の時代のことがある程度判明したのでした。気になったのは、戸籍の転籍記録によると、永年操業で表彰された僅か数年後に、なぜか一家で県内の都市部へ引っ越していること。当然、田舎での製粉という生業を捨てて…一体なにがあったのか。「夜逃げして来たって聞いたことあるよ」この時、弟が生前父から聞いたという言葉が、急に現実味を帯びて感じられたのです。昭和の初め、5〜10年ぐらいの世相を思う時、昭和恐慌の荒波が田舎の名もなき一家にも否応なく押し寄せたであろうことは容易に想像がつきました。債権者のお立場からすれば、夜逃げは決して許されるものではありませんが、偶然見つけた資料がきっかけで、当時の一家の苦
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ただ導かれるままに

家系図とご先祖調査のふることやです。数あるブログの中から、こちらにお立ち寄りいただきありがとうございます。自己紹介を兼ねて、出店するまでのいきさつをぽつぽつと投稿しております。父の死を機に、ずっと気になっていた先祖のことを調べなきゃと思ったのも束の間、日常の慌ただしさにかまけて「そのうちに、そのうちに」と後回しにしているうちに、1〜2年があっという間に過ぎ去りました。そんなある日、かつて父方先祖が暮らしていたと思われる土地を偶然訪ねる機会がありました。城下町から川沿いを遡った谷間にある、古くは一帯が荘園だったという歴史をもつ村でした。稲刈りが済んだ田んぼの畦道を、一人自転車で駆け巡りました。よく、初めて来た所なのに懐かしく感じる、なんていいますが、そのとき私が感じたのは、魂が震えるような、いわく言い難い感覚でした。田んぼの真ん中で魂が震える、可笑しいですね、我ながら。父の一家は、父が生まれる前に田舎を離れ都会へ出ていましたが、戦時中、父とその姉は、母親の生まれ故郷であるこの土地へ疎開させられたようです。親戚の家の子に邪険にされたり、いろいろ辛かった思い出を聞かされたものです。幼い父は、毎日どんな心持ちでこの美しい田んぼの景色や山並みを眺めていたのだろう…そう思いながら眺めるうちに、なにより親と離れて寂しかった父の気持ちが手に取るように感じられたのでした。小春日和の午後、名残り惜しい気持ちを振り切って、ご先祖さまが暮らした土地を後にしたのでした。
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なぜだかわからないけれど、ご先祖様のことが気になって

こちらのブログを訪れてくださり、ありがとうございます。見つけて下さったあなたは、きっと歴史やご自身のルーツ・家系のいわれにご興味がおありの方ではないかと推察いたします。若い頃は自分の目の前のこと、将来のことで精一杯、ご先祖様と言われても遠い昔のことで、お墓参りや法要の折、手を合わせることがあってもあまり我が事として受け止められなかった私「ふることや」が、どうしてこのようなサービスを始めるに至ったか、そのいきさつについて、少しお話ししたいと思います。「戸籍集めをしてみて、親父のルーツがわかりました」数年前、父を見送った後、相続の手続き一切を任せていた弟から、一通り終わったとLINEがありました。その最後の一文を見て、「ああ、いい加減やらなきゃ」という焦りにも似た気持ちを掻き立てられたのを今でもはっきりと覚えています。子供の頃、うちの父はどういうわけか、時々、自分が生まれ育った家のことやら先祖の言い伝えらしきことやらを問わず語りする癖がありました。いつも上の空で聞き流していたので、私たちきょうだいともども断片的な内容しか憶えていないのが今でも悔やまれます。時が経ち、先祖に少し興味が湧き始めて、一度訊いておこうと思うようになった時には、父は肺炎を拗らせて人工呼吸器とともに病床にありました。かろうじて筆談は出来たので、ホワイトボードでやり取りし記憶の穴埋めを試みたものの、弱々しい筆跡から得られる情報は限られていました。結果、父に直接訊ける機会はこれが最後となってしまいましたが、今思うに、父自身がその上の世代から伝え聞いていた内容も同じように断片的なものだったのかもしれません。弟がどの程
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エンディングノートの書き方 何を書けばいいの?笑顔相続ノートで解説

エンディングノートとは、自分の人生の終末について記したノートの事です。万が一に備えて、家族や友人に伝えておきたいことや、自分の希望などを書き留めておくことができます。記入しやすい専用のノート、普通のノートや手紙形式でも問題ありませんが、エンディングノートには法的な強制力が無い事に注意が必要です。そこで前回、エンディングノートと遺言書の違いについて詳しく説明させていただきました。 今回は実際、エンディングノートには何を書けば良いのか、筆者が所属する相続診断士協会が発行する「笑顔相続ノート」を使って解説したいと思います。エンディングノートに何を書く? エンディングノートには決まった書き方はありませんが、 例えば・・以下の様な内容を書くのが一般的でしょう。  ・自分の基本情報    自分が生まれてから現在に至るまでの学歴や職歴、その他経歴など   ・家族へのメッセージ   言葉では伝えられなかった感謝の気持ちなど   ・医療(延命治療など)介護について   延命治療をして欲しいか否か、介護施設や介護方法の希望など   ・相続・遺言書について   遺言書がある場合は場所を書いておきましょう   遺言書が無い場合は、誰に何を相続させるのか、明記しておきましょう  ・葬儀・お墓について   葬儀の希望(家族葬を希望・・など)やどの墓に入りたいかなど   ・家族や親族について   相続人を特定する為に、家系図などを作成しておくと良いでしょう   特に再婚歴のある方は要注意です  ・親しい友人・知人について   いざという時に連絡してもらいたい方を書いておきます   ・ペットについて   ペッ
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日常は遠のき、遠くが戻る

お盆が過ぎて、処々に秋を感じる季節になりました。 父が亡くなって16年経ても、高校野球が流れ、香が立ち上る畳に座ると「日常は遠のき、懐かしい遠くが戻る」。日本のお盆にはそんな役割があるような気がします。 本日、夫婦の夜散歩で「家系図」の効用が話題になりました。 次世代への貢献を考えることはあっても、前世代への関心は申し訳ないが私の場合薄い。江戸時代末頃までは、戸籍謄本で遡れるようである。激動の時代を生き抜いてくれたご先祖様に、時代や出身地とともに故人に想い、手を合わせるため、年代入りの家系図が仏壇の横にあってもいいよね。
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